2018年5月21日月曜日

第7章 例えば、現代の日本でも起こっているかもしれないバベルの塔


第7章 例えば、現代の日本でも起こっているかもしれないバベルの塔

 バベルの塔のようなことは、ひょっとしたらそこいら中で起こっているのかもしれない。
 要は、支配者層が土民の力を抑えるようにするのである。

 今、おそらく、この世界の神々というか支配者のグループは英語を話す人が多いのではないかと思うのである。
 また、彼らはキリスト教を信奉している者が多いと思われる。 
キリスト教は言葉の威力、というものを非常に重く見ているようだ。

 新約聖書 ヨハネ伝福音書は「初めに 言葉(ロゴス)あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」という有名な文章で始まり、続けて、その言葉が肉体となりイエス・キリストになった、ということが書かれてある。

 言葉とは言うなれば、「魂」なのである。

 さて、日本人の英語力、語学力に関して悲観的な論調が多いがそうだろうか。
 江戸末期に、蘭学が盛んになり、薩摩藩、佐賀藩では、水力発電、反射炉などが作られた。これはあくまでも洋書を読んでこしらえたのである。向こうから技術者を招聘したわけではない。洋書を読むにも辞典も文法書も碌なものはなかった。それでも苦心惨憺して本を読み、反射炉等を作ったのである。
 このようなことができたのは世界で、日本人しかいないのである。この語学力は卓越したものと言えるのではないだろうか。
 その語学力を支えたのは、長いこと漢籍を読むことで養われたのである。

 世界の支配者層が日本人の語学力を弱体化しようと思ったらどのような策を用いるだろうか。
 先の章で、学校教育から英語を除く、というやり方もある。しかし、現在ではそれは不可能だ。あまりにも弊害があることが誰の目にも明らかだからである。
 ならばどうするか。

 現代、日本人の語学力の弱さが殊更言われた来た。読み書きはできるが、話す、聞く、会話ができない、と仰る。TOEICでもアジア諸国で最低水準とか。
 勢い、最近、話す、聞く、の英語会話がやたら重要視され、文法の軽視、蔑視が行われている。

 小学3年から英語を授業で行うことになったが、文法は教えずに、遊びのような英語教育をするという。文法はあえて教えない、と。冠詞も必要なければ、三単現のsも要らない、という勢いである。そのようなことを気にせずにとにかく英語で遊べ、というノリだそうだ。そう、英語にはノリが大事だと言うのである。
 
 あえて問う。これで英語ができるようになるのだろうか。
 出来るようには決してならないと断言する。
 英語の勉強とは、つまるところ、日本語と英語の置き換えである。故にその法則である英文法がもっとも要である。
 その要がない。これでは英語が出来るようにはならないう。
 
それを敢えてやらない、と強調するのは、神々による日本人の英語力破壊工作、バベルの塔かもしれない、と私は考えるがどうであろうか。

2018年5月6日日曜日

第6章 神々はどのようにして人々の言葉を乱したのか


第6章 神々はどのようにして人々の言葉を乱したのか

それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。

 旧約聖書の記述で一番不可思議なのはここだろう。
 神はどのように人間の言葉を乱したのだろうか。きちんと話をして通じ合っていたものが、言葉がわからなくなることなんてあろうか、と思うであろう。

 まず、乱した言葉は共通語。当時の人は様々な地方、国からここバビロンの工事現場に来ていた。彼らは地元、故郷の母国語や土語の他に、その当時の世界の共通語であった古代ヘブライ語かシュメール語を使って他国の人たちと共同作業をしていたのであろう。「言葉を乱した」とはこの共通語を乱したのである。

 次にどのように乱したのか。
 不思議な光線銃が呪文を唱えたのであろうか。そして一瞬で言葉が乱れたのであろうか。
 いや、それは違うと思う。
 旧約聖書の記述は1-2行なので、瞬間的に言葉の乱れが起こったように感じてしまうのであろうが、それは違う。
 何しろ旧約聖書とは、天地が開けたビッグバンの時から、キリスト誕生の少し前までの実に長い年月の話なのだ。
 だから、言葉を乱すのに要した時間も相当長い、というか、五十年から百年、2百年くらいであろうと私は考える。

 どのような方法でやったのか。 
 工事現場で働いている人たちは、きっと共通語をマスターしているのでこれを忘れさせることは神といえどもできない。
 どうやったのか。きっと教育を乱したのであろう、と思う。
 たとえば、彼らの母国に行って、彼らの学校の教科から共通語を外す、とか。
 もちろん彼らの族長や政治家に働きかけて学校の教科から外したのではないか。
 教育には政治の力が非常に大きい。
 語学の習得が大変な負担なのは、古今東西を問わず変わらないであろう。
 例えば、今、学校で、もう英語を勉強しなくても良いよ。センター試験の教科からも外すし、高校、大学受験でもその科目はなくなるよ、と告げたら受験生は負担が減って大喜びであろう。

 それでも当初は、大人たちは「英語を勉強した方が良いぞ」と子供らに言うだろうし、大学入試でも全部廃止するわけにもいかずある程度残るであろうが、年々、衰微するであろう。

 このように「たられば」のことを考える必要もない。
 現に今の我々も知らないうちに経験しているではないか。
 
 漢文である。 
 伝統ある大学や高校の校歌や寮歌、応援歌などは、漢文調で重いものが多い。その多くを当時の学生が作っているのである。
 私は予々(かねがね)、どのようしたらこのような格調の高い文章を作れるのかな、と思っていた。
 答えは簡単であった。
 当時の学生は今よりもかなり漢文を勉強していたのである。
 当時は、というか戦前は今よりもはるかに漢文教育が盛んだったからである。
 主要教科の一つであったそうだ。数学、英語、国語、漢文 みたいな感じであった。
 しかし、今はそこから外れ、廃れたのである。

 当時の知識人は嗜みとして、漢詩くらい作ることができたそうだ。
 多くの大学生も漢詩を作ることが出来たであろう。
 夏目漱石も森鴎外も立派な漢詩をこしらえている。
 今では漢詩を作るのは趣味で漢詩をする人だけ。
 そもそも我々の多くは漢詩にはそもそも馴染みがない。
 つまり、明治から150年ほど、あるいは戦後70年間の教育のやり方でこれほど変わるものなのである。



森鴎外 1862-1922 陸軍軍医 小説家 

文豪 立派な漢詩をいくつも作っている。




 閑話休題
 前の章でも述べたが、当時の人間の寿命は今よりもずっと長かったようだ。300年くらいとも思われる。旧約聖書に書いてあるのだが、それが事実であるか、また、そのままマトモにとって良いかは分からない。
 しかし、人の寿命が今と同じ70年くらいであろうと、三百年であろうと、そのくらいの年月が経つと一世代置き換わる。

 かつてバベルの塔を作っていた頃、世界共通語は古代ヘブライ語かシュメール語であったようで、その教育を各部族とも一生懸命やっていたのではないか。そしてかなり高いレベルの、ひょっとしたら、神々、支配者階層よりも高いレベルの語学力を身につけ出したのではないだろうか。

 神々、支配者たちはそれを恐れ、その教育を乱した。各部族に働きかけ、共通語教育を無くしたか、骨抜きにした。その教育を受けた世代が70年か300年くらいして入れ替わると、語学力は低下し、バベルの塔を作る人々のコミュニケーションがスムースでなくなり、廃れてしまった、と考えると自然ではないだろうか。

 私の推論であるが、イラクのバビロン周辺には巨大な塔らしき遺跡がたくさんあるそうだ。人々はここに防災を兼ねた巨大な都市を築こうとしたのではないだろうか、あるいは、完成したのかもしれない。
 そこは支配者層を受け付けない「共和国」であったかもしれない。
 それに神は脅威を感じたのかもしれない。
 そこは強固でとても支配者層の武力での鎮圧は難しかったのだろう。
 故に、年月をかけて言葉と教育でダメにしたのではないか、と私は考えている。
 
 今まで述べたバベルの塔が崩壊した理由をまとめてみよう。
 ○神々とは、支配者のことであろう
 ○バベルの塔を一瞬で壊したのではなく、共通語教育を廃れさせることにより、1世代か2世代が交代するくらいの時間をかけてダメにしたのではないか。

 さて、バベルの塔の滅びた理由は以上である。
 このように読み解いたものを他に私は知らないし、この解釈は新規のもの、私独自のものと思っている。
 それで皆様方に是非お伝えしたかったのである

 平成30年5月6日(日)

 



 
 
  
 

2018年5月5日土曜日

第5章 当時の人間の寿命


第5章 当時の人間の寿命

 バベルの塔の時代の人々の寿命について考えてみた。
 旧約聖書には、実に仔細にはっきりとその時代の宗教的な重要人物の寿命がはっきりと書かれている(下の表)。



 ノアは950歳まで生きたそうである。

 しかし、この洪水の後、寿命は急速に縮まり、アブラハムは175歳で没したとある。

 バベルの塔の建設は、ノアとアブラハムの間であるから、人々の寿命は300 - 400年くらいであったのだろうか。

 何か、俄かには(にわかには)信じられない話であるが聖書にはきちんと書かれている。

 また、ノアの洪水の際に、天の水が落ちてきた、みたいな記述がある。
 大雨が降った、ということではないか、と取るのがまともであるが、それにしても、記述が大げさである。

 これに関して、ある人に言わせると、この当時は空に氷の壁があり、故に地球は今よりも温暖であり、かつ、その氷の壁のために、太陽から紫外線などの有害な光線がカットされ、人々の寿命が長かったのでは、と考える人もいるようである。
 その話を聞いた時に、ロマンを感じたが、なかなかイメージしにくい物であるな、と思った。

 しかし、現代、惑星探査機が太陽系の惑星についていろいろな情報を送ってくるようになった。

 地球よりも太陽から離れている火星は非常に気温が低くなようだ。カチカチに凍てついた世界のイメージがあるが、火星の地表の映像を見ると、何やら、ラスベガス近郊やアリゾナあたりの砂漠のような感じに思えた。

 さら木星、土星に至ってはもっと寒いのではずである。なるほど地表は非常に冷えていて、凍りついているが、その下は比較的暖かいみたいで液体が流れているとの報告もあった。

 さらに海王星あたりまで探査機は行っている。ここは太陽からはるか離れたところで絶対零度(摂氏 -273度)の世界のはずだが、広大な海があり液体があるという。不思議な話である。

 地球でみると、南極にボストーク湖というのがあるのをご存知であろうか。
 氷の下4kmに、温水がでているみたいで、ここに氷に閉ざされた湖があるという。温水が出ているのだから、その水は暖かいのであろう。しかし、その空間は氷の天蓋に覆われている。

 まあ、このような世界もあるということである。

 今回はちょっと余談。当時の人々の寿命について検討した。

 次章ではいよいよ、神々がどのようにして人々の言葉を乱したのかを語っていくことにしよう。



海王星
ボイジャー2号による撮影
1989年8月16日から17日)




この人を獲ると国が捕れる 日本を捕れる

要人の弱みを握れ! 一国の宰相と言えども,金,女,身内のヘマ,等々,いろいろな弱みがある. その弱みを握る事が出来れば,容易に国を操る事ができる.    故に,国会や総理官邸などのセキュリティーは厳しく,なかなか隠しカメラやマイク等を設置できないであろう. さて...